倉林 公任(くらばやし きみひで、1886年(明治19年)12月30日 - 1969年(昭和44年)2月13日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級。
経歴
1886年(明治19年)に東京府で生まれた。陸軍士官学校第22期卒業。1937年(昭和12年)4月7日に歩兵第30連隊留守隊長に就任し、8月2日に陸軍歩兵大佐に進級した。9月20日に歩兵第58連隊長(上海派遣軍・第13師団・歩兵第26旅団)に転じ、上海に増援として派遣され、南京攻略戦、徐州会戦、武漢攻略戦を連戦した。1939年(昭和14年)8月に広島連隊区司令官に転じた。
1941年(昭和16年)3月1日に陸軍少将に進級し、第4国境守備隊長に着任。1942年(昭和17年)12月に第34歩兵団長(第11軍・第34師団)となり、南昌を根拠地とし、敵軍との攻防戦を繰り広げた。1943年(昭和18年)6月に留守第54師団兵務部長に転じ、長野師管区兵務部長を経て、1945年(昭和20年)7月5日に待命、7月6日に予備役に編入された。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた。
脚注
参考文献
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。



