第4装甲擲弾兵師団(ドイツ語:4. Panzergrenadierdivision)は、ドイツ連邦陸軍の師団のひとつ。1994年に解散した。師団の部隊は主に東部バイエルン州およびオーバーフランケンに駐屯していた。「新任務のための新陸軍」(1996年から2000年)で師団は第1空挺師団と合併し、コマンドー空中機動部隊 / 第4師団となり装甲擲弾兵師団としては終了する。後継師団は2001年に特殊作戦師団になる。

歴史

第1次編制

1956年7月1日、国境警備隊南部司令部の下で第4擲弾兵師団として南ミュンヘンで編成され、A4戦闘群(アムベルク)、B4戦闘群(コーブルク)を基幹部隊とし、ウルムの第2軍団に所属した。また、同年9月15日に師団司令部はレーゲンスブルクに移転した。

  • A4戦闘群 在アムベルク
  • B4戦闘群 在コーブルク、のちにエルヴァンゲン
  • 第4通信大隊 在レーゲンスブルク
  • 第4擲弾兵大隊 在デッゲンドルフ
  • 第14擲弾兵大隊 在シュタットシュタイナハ
  • 第24擲弾兵大隊 在コーブルク、のちにエルヴァンゲン
  • 第34擲弾兵大隊 在コーブルク、のちにヴィルトフレッケン
  • 第4戦車大隊 在ヴァイデン、のちにアムベルク
  • 第4工兵大隊 在ローゼンハイム
  • 第4防空連隊 在アムベルク
  • 第4砲兵連隊 在ヴァイデン
  • 第4野整備中隊 在アムベルク
  • 第4補給中隊 在ムルナウ
  • 第4野戦憲兵中隊 在レーゲンスブルク
  • 第4軍楽隊 在ミュンヘン

1958年5月15日にはさらにC4戦闘群が配属され、B4戦闘群本部を基幹に独立第30装甲旅団を編成し、同年に師団は北大西洋条約機構に結合される。

第2次編制

1959年3月18日に第4装甲擲弾兵師団に改称・改編され、戦闘群は旅団に改編された。第10装甲擲弾兵旅団はヴァイデンに、第11装甲擲弾兵旅団(旧B4戦闘群)はボーゲンに、第12装甲旅団(旧A4戦闘群)はアムベルクにて、そして独立第30装甲旅団は第30装甲旅団として改編される。第30装甲旅団は1959年7月に第10装甲擲弾兵師団に配転された。

第3次・第4次編制

1970年、第3次編制で師団は第4猟兵師団に改称・改編される。隷下の装甲擲弾兵旅団は猟兵旅団に再編成する。その後第4次編制で1980年に再び師団名が装甲擲弾兵に改称・改編される。以下は第4次編制当時の部隊構成。

  • 第10装甲擲弾兵旅団 在ヴァイデン
  • 第11装甲擲弾兵旅団 在ボーゲン
  • 第12装甲旅団 在アムベルク
  • 第4砲兵連隊 在レーゲンスブルク
    • 第41野戦砲兵大隊
    • 第42ロケット砲兵大隊 在ヘーマウ
    • 第43観測大隊 在アムベルク
    • 第4監視中隊 在ヘーマウ
  • 第4防空連隊 在レーゲンスブルク
  • 第4装甲偵察大隊 在ローディング
  • 第4工兵大隊 在ボーゲン
  • 第4通信大隊 在レーゲンスブルク
  • 第4整備大隊 在レーゲンスブルク
  • 第4補給大隊 在レーゲンスブルク
  • 第4衛生大隊 在レーゲンスブルク
  • 第41から第45野戦予備大隊(非現役)
  • 第46猟兵大隊(非現役) 在ヘーマウ
  • 第47猟兵大隊(非現役) 在ノインブルク・フォルム・ヴァルト
  • 第48警備大隊(非現役) 在アムベルク
  • 第4陸軍航空隊 在フェルトキルヘン
  • 第4軍楽隊 在レーゲンスブルク

1994年、師団は第1空挺師団と合併し、コマンドー空中機動師団 / 第4師団に改編された。伝統継承の観点から第4師団の名称が付けられた。2001年には同師団は特殊作戦師団に改編されている。

歴代師団長

脚注

参考文献

  • 『PANZER』1979年1月第43号、サンデーアート
  • 『PANZER』1988年10月第176号、サンデーアート

外部リンク

  • (ドイツ語) Bundesarchiv zu Brigade

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