志賀 泰山(しが たいざん、嘉永7/安政元年8月21日〈1854年10月12日〉 - 昭和9年〈1934年〉2月5日)は、日本の物理学者、化学者、林学者。日本初の林学博士の一人。

経歴

伊予国宇和郡近永村(現・愛媛県北宇和郡鬼北町)にて、宇和島藩の医師志賀天民の次男として生まれる。

物理、化学を専攻し教鞭をとっていたが、後に林学へ転向してドイツへ留学。帰国後は、農商務省勤務や東京帝国大学農科大学にて講義を通じ、多くの後進を育てた。一方で、クレオソート油や塩化亜鉛を利用した木材保存(防腐)技術を研究し、50歳で退官した後は、民間の立場から木材防腐技術の開発や普及を行った。当時は、電柱や枕木などで大量の木材が使われ、その寿命や交換時期を延ばす防腐技術は多くの需要があった。結果的に、志賀は木材保存などに関連した多くの特許を取得している。志賀が確立した防腐技術は、1953年の木材防腐特別措置法へ結びついた。人柄を表すエピソードとして、晩年、「予は研究の外何一つ楽しみもない。」との述懐が伝えられている。

略歴

  • 1871年(明治4年) - 南校ドイツ語学科へ入学。以降、鉱山学、物理学、化学を学ぶ。
  • 1877年(明治10年) - 大阪師範学校(官立)へ赴任。物理学・化学を講義。
  • 1882年(明治15年) - 東京師範学校教諭(判任)に。
  • 1883年(明治16年) - 東京山林学校助教授に。
  • 1885年(明治18年) - ドイツ、ターラント高等山林学校(現ドレスデン工科大学)へ留学(同校は、後に本多静六らも留学)。
  • 1888年(明治21年) - ドイツから帰国。農商務省山林局勤務。
  • 1889年(明治22年) - 東京大林区署長に。
  • 1890年(明治23年) - 東京帝国大学農科大学教授に。
  • 1899年(明治32年) - 林学博士の学位取得(本多静六・中村弥六他とともに)。
  • 1903年(明治36年) - 大学を退官。
  • 1907年(明治40年) - 東洋木材防腐の設立に際し、技師長を務める。
  • 1934年(昭和9年) - 脳溢血で倒れ死去。墓所は雑司ヶ谷霊園。

家族

  • 父・志賀天民 ‐ 宇和島藩医師
  • 妻・やゑ ‐ 愛媛県士族・仁科盛行の長女
  • 二男・志賀潔(1884年生) 
  • 三男・志賀亨(1889年生) ‐ 医学博士。北海道帝国大学教授。岳父は米井源次郎。娘婿の伊藤知夫は伊藤祐敬の孫。

脚注

参考文献

  • 阪上信次『木材保存額の先駆者 志賀泰山』『木材保存 24号』公益日本木材保存協会 、1998年1月。 

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